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wa-so designの日々を綴るblogです。
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コンピューターというものに対して自分の考えを整理しておかなければならないという出来事があった。
 
 
 
 
先日、安藤○雄氏のトークショウっぽいものに行ってきたときのこと。
 
例の世界のアン○ウでございます。
 
氏は気さくな人柄で、前列に三角座りしている学生たちに「青春の覚悟」みたいなものを説うていらっしゃいました。
 
お話もわかりやすく学生さんにとっては大切なことをたくさん言っておられました。
 
その中で
 


「コンピューターはなんの役にもたたない」
 


という言葉。
 
最初に言っておくと僕も同感です。
 
自分の事務所で働く助手たちの姿を引き合いに出してまで揶揄しておられました。
 
その真意は、すべてのモノヅクリはコンピューターの画面から産まれるものではなく
 
すべては人間から、人間の想いから、人間の行動から、人間と人間の関係から
 
ということを学生に話したかったのだと思います。勝手な解釈ですが。
 
真理です。同感です。この世の素敵なものはすべてがそうやって産まれてきたんだと思います。
 
 
でもそこに「コンピューターはなんの役にもたたない」という

言葉をあてはめようとは思わない。
 


仕事の局面で、手作業からデジタルの過渡期に産まれた世代の僕にとってはどうしても言えない。
 
そのへんを自分でちゃんと整理しとこうと思いました。
 
 
 
 
長いので興味のある人だけ読んでください。日記的には今日のブログは↑までで終わりです
 
いや、ここでコンピューターがもたらした恩恵の方を並べて擁護しようという気もさらさらない。
 
なぜひっかかったのかというハナシ。
 
 
僕にとってコンピューターは所詮、道具です。ツールです。愛着もなければ忌み嫌うこともない、ペンやハサミや洗濯機となんら変わりないただの道具です。
 
コンピューターが役にたたないということをわざわざ言う価値すらもない。
 
だから声を大にして言うにはどうもひっかかる。
 


どうもコンピューターを眼のカタキにする人ほど、只の道具としてみれていないのではないか?



と思います。

 
自分の範疇にあるコンピュータを捕まえて「役にたたない」言う分については、自分のよく知る世界なのですから、その世界でのみ「コンピューターなど役にたたない」というのは、「なくてもできる」という自信と経験からくる尊敬すべき「教え」です。


しかしそれを口にする人ほど、そうではない気がする。

自分の知らない世界のコンピューターや、ひいてはテクノロジーまでを含んだニュアンスでたびたび口にしてるのではないか?と感じます。
 


そしてそれは、私には少し怖いことではないかと思っています。
 

なぜ自分の知らない世界のコンピュータを批判するのが怖い
か。



何度も言いますが、広義の意味では真理として「人間力の中からしかモノは産まれない」と

は思います。ただし「コンピューター」という言葉を矢面にして話すのはいささか乱暴で抵抗が

あるということ。
 
 
これはコンピューターとは何かというものを知り尽くした人間でないと、なかなか「役にたたない」と言えないほど、「コンピューター」というものが使わない人にとって想像しにくいものになってしまったと思うからです。
 
想像しにくいものを表面的に捕らえて、わかったつもりで「コンピューターはなんの役にもたたない」

ということを僕は言えない。
 
 
 どんな想像しにくいことがあるのかというと、ここではデスクトップ型パソコン、(コンピューターという言葉のアイコンを担っている、物言わぬディスプレイに向かう姿がもっとも非人間的に見える例のあの物体ね)

だけに限定して書こうと思います。


仕事に使うんで。

生活の中に溶け込んでる(クーラーや自動車なんかに入ってる)コンピューターはもっと想像しにくいので
デザインや設計の人間が、日ごろ使うソフトを題材にして話します。

 
世の中はコンピューターを、アウトプットで求められるから仕方なく使うものばかりではない。
 
道具として使う技能は、ソフト次第では技術と呼べるという点が、使わない人にとってはとても想像しにくいのではないか?と思います。
 
というのも、ドロー系のソフト(CADとかね)の場合、使う人間によっての差というものはスピードぐらい。

もちろん図面内容や線の使い方や表現力そのものの差というものは、その人の技術力の差であるのでここでは横に置いておきます。純粋にコンピュータの技能の差のお話です。単純に同じものをCADで描いたときのハナシです。

つまりスピードぐらいしか差がない程度のソフトでは、使い方を知ってさえいれば誰でも描けるわけです。まさしく手の代わり。コンパスや鉛筆と一緒です。道具であり、使えるという技能。これは想像しやすい。
 




ではペイント系(イラレとかね)は?というと少し勝手がちがいます。

これは二人の同じ習熟度の人間でもスピード以外に色々な差がでるということ。

ここでも内容の差は上位の話なのでひとまず置いておきます。

とくに数あるペイント系でadobeがシェアを独占していった理由のひとつは、この使い手の差が顕著に現れるソフトだからです。

極端なことをいうと、そこそこ使える人が他の手によるものを見たとき、

「どうやって描いたのかがわからないこともありうる。」ということ。

これは遣り方を知っている、知らないでは解決しません。

「コンピューターなら簡単にできるんでしょ?」とか、「アナログな遣り方だってある」というレベルではない場合もあるということ。


ドロー系や事務系のソフトではこんなことはありません。

何ができるかを知っていたところでどうにもならない。それは技能ではなく技術だと思います。

そしてそれで食っている人もいる。

他にも映像や音楽、CADでも測位や3Dなどモノヅクリの世界の中だけでも僕の知らない世界は色々あります。
 
そんな知らない世界でグリグリ稼動しているコンピューターをひとまとめにして

「コンピューターはなんの役にもたたない」とは、
またもや言えない。商売に貴賎はない。
 
 
 
 
人間愛にあふれたデザインの川崎和男氏も、東大阪のおっちゃんも、昔の会社の先輩も、

三丁目の夕日も、コンピュータを知り尽くした上で、さらに温かいものをみせてくれる。
 
宮崎駿氏も、さんざんCGを駆使してきて、ようやくポニョでの「鉛筆で描く」発言に至りました。
 
それもコンピュータへの批判ではなく「コンピューターでは誰も驚かなくなった」という言葉を選びました。
 


だから「ようは使い方なんだ」という言い方もある。

これもそのとおりですが超ありきたり。僕はコンピューターについては宮崎駿氏が言葉を選んだように

そろそろありきたりな表現から脱却したい。
 
「人間力の中からしかモノは産まれない」という対象は、テクノロジー全般への人類共通の命題であってもっと当たり前で大切なハナシ
 

その話をスライドさせて、したり顔で「コンピューターはなんの役にもたたない」と言う言葉は

「人類への警笛」の仮面をかぶってはいるものの、
 
「アラカンクア共和国の料理はマズい」という言葉程度の重みしかないと思っている。
 
 
den
 
 
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